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工藤尚之(くどうなおゆき)

Guitarist Compose Arrange

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1963年3月15日生まれ。

・幼少期に姉がBeatlesにハマっていた為自然とロックを聴く様になる。 小学6年の頃、父親の転勤の間他人に貸していた実家に帰って来たらたまたまギターが置いてあったので(ボロボロのガットギター)自然とギターを弾く様になる。

・まだあまり教本など買えるほどおこずかいを貰ってなかったので友人宅で教本をみたり、耳コピを始める。
                                                       
                                         
中学校入学

当時好きだったのはクイーンとエアロスミス、キッス・・・あとパイロット(今ではマニアックなバンドですが良い曲多いんですよ。とっても爽やかなパワーポップ。)。 その他にも当時の洋楽トップ40に入る曲ならなんでも聴いてました。

中学校入学

・この頃からハードロックに目覚めLed ZeppelinやDeep Purpleに始まりスコーピオンズ、

ブルーオイスターカルト、ナザレスなどなんでも聴く。

・たまたま音楽雑誌を読んでいたらジェフベックの「Wired」のジャケットのかっこよさに惹かれて輸入盤屋で購入。すっかりハマる。 ここからインスト物もどんどん聴く様になる。

・お年玉とおこずかいを貯めてエレキギターを購入 ウエストミンスターというグレコのセカンドブランドの黒いレスポールモデルでした。(Jeff Beckの影響です。)

しかしまだギターアンプは持っていないのでラジオに繋げて弾いてました。

・中学二~三年の頃あたりからクロスオーバー(フュージョンっていうジャンルがまだそう呼ばれていた)が流行り始め、時代の波に乗ってジョージベンソンやらアル・ディメオラやら聴き始める。

・中学三年の頃に生徒数人で「バンドの発表会をやろう!」と企画をするが、当時の教頭先生などに「エレキは不良になる!」と反対され頓挫しそうになるが教職員達の前で猛抗議してなんとか開催に至る。

この時僕が周りの先生や同級生に「とても説得力があったよ。 お前ってすげーな。」と言われるのだが本人は本当に一所懸命だったので何を言ったのか全然覚えていない。(笑)

で・・・初めて人前でバンドで演奏したのはLed Zeppelinの「天国への階段」。

友達のアンプを借りてやりました。 

・高校入学前にラリーカールトンにハマる。

ラジオで流れた「Room335」を聴き一発で「これだ!」とすぐにレコード屋へ走りました。 ここらへんから日本もフュージョンブームがやって来ます。

高校入学

・高校一年の時学園祭に向けてバンドを結成。 

ジェフベックの「Jeff's Boogie」とラリーカールトンの「Room335」を演奏。 

どういう経緯だったか忘れたが声をかけられてそのバンドで中央大学の学園祭でも演奏する。

・高校二年の頃パーマネントなバンドを組みたかったので学内外のメンバーで

「パラレルターン」というバンドを結成。

・NHK主催のコンテストに出て準優勝を獲得。 

その時にポリドールレコードのディレクターさんに個室に呼ばれ「スタジオミュージシャンならないか?」と声をかけられるが譜面が全く読めないので「読める様になったら連絡する」という話で終わる。

・そのバンドのサイドギターの人の家が父兄と共にジャズマニアだったので色々と

ジャズを聴かせてもらい 、ジャズにハマる。 

ウエス・モンゴメリーやジョーパスなどをコピーし始める。

・ジャズ以外にも変わった音楽が聴きたくなってプログレなども聴き始める。

Allan Holdsworthを見つけて驚嘆する。

大学入学


・一応普通の日本の大学(商学部)に入学。

・「譜面の勉強になるかもしれん!」という理由で大学のビッグバンド部に入って一年目からスタメンでギターを弾く。

・「特に勉強する事もなくなったので」二年目で退部。 この頃からFunkにハマる。

・ついでパンクバンドでベースも弾き始める。 都内のライブハウスで演奏。

・友人からの紹介などで学内外のメンバーを集めてFunkやら何やらなんでもありのバンドを結成。

チャカ・カーンとかアース・ウインド・アンド・ファイヤーやらジノ・バネリなどをコピーして都内のライブハウスなどで演奏。

・その他に色んな所からお仕事を貰い・・・歌手のバックやらなにやらやってました・・・が大学三年の頃父が食道がんで亡くなり、ミュージシャンの道をあきらめる。


社会人


・まあ従業員400人ぐらいの中堅どころのソフトウエア会社にSEとして入社。

意外とコンピューターのプログラミングというのが向いていたのか、

二年目あたりから日経コンピューターに載るような大きなプロジェクトを任される。 

三年目で係長。

・当時は残業残業の嵐で深夜に帰宅の毎日だったが・・・

なぜかギターは辞められず・・・深夜1~2時ぐらいに帰宅して風呂に入って

そこからギターを一時間弾いてから寝る・・・7時に起床して会社へという生活に嫌気がさして

「やっぱり俺はギターが好きじゃん!」と会社を辞め、渡米。


バークリー音楽大学入学


・渡米して英語の勉強して半年後にバークリー音楽大学に入学。

同級生にジョン・コルトレーンバンドのジミーギャリソンの息子のマシューギャリソン

(今では彼の名前のベースが発売されるほど有名。)、フュージョン界では大有名な

ベーシスト!エイブラハム・ラボリエルの息子エイブラハム・ラボリエルJr.(今ポールマッカートニーのバックでドラム叩いています)などがいてあまりの自分とのギャップに驚く。

Bruce先生のHP。 左下のところに音源を聞けるところがあります。 かっこいいので聞いてみてね。


・「このままじゃいかん!」と勉強の為あちこちのライブハウスに現地のミュージシャンを観に行きBruce

Bartlettというギタリストを観て「あ! この人だ!」と衝撃を受ける。


何度かライブを観に行ってライブ後に「あの~~ギター教えてください!」とお願いすると、

「じゃあ来週の水曜日うちに来い! テストしてやる。」と言われ

当日Bruce先生の家に行く。


「じゃあお前Fのジャズブルースを弾いてみろ。」と言われ必死にあらん限りのフレーズを使い弾いてみたら

「じゃあ合格だ。 来週からこの時間に来い!」と言われ個人的に師事することになる。


今ではBruce先生はバークリー音大の准教授になっていますが当時は「け! バークリーかよ!」とか言って

ました。 先生自体はバークリー出身ではないからですかね?


とにかくこのBruce先生のレッスンは厳しかった。 

宿題の量が半端じゃない。

 「じゃあ来週までにハービーハンコックのDolphin Daceのピアノソロを全部耳コピしてこい! ちゃんと譜面

にしてな! それとバッハのバイオリンソナタを弾ける様にしてこい! それと「Have You Met Miss Jones」

と「Daahoud」と「In Your Sweet Way」をテーマとアドリブ弾ける様にしてこい!」ってな感じで・・・大変で

した。 


ほんのちょっとでも宿題やってこない生徒がいると「来週から来なくて良い!」と言われるので本当に必死に

レッスンを受けました。(目の前でそういわれる生徒をみました。)


まあおかげで今の僕があります。

現地のファンクバンドで活動


・街の電信柱に「ファンキーなギタリスト求む!」と張り紙があったので応募してみると

待ち合わせ場所にガタイの良い黒人が「yo! お前がナオユキか? メ~~ン?」って現れてびっくりしたので

あった。

Brenというその彼のボロボロの車にのせられてついた場所はなんと黒人街の真ん中であった。「ここが

ゲットーって所だよ。」と言われ心底ビビる。


バンドでセッションしてみると黒人バンドというのは非常にリズムが良い。


僕も気持ちよくギターを弾いたらバンドのメンバー全員に「お前はSo Badだぜ!」と言われて「ええ? あん

なに調子良く弾いたのに?」と驚いた顔をしたら皆に笑われる。 「So Goodって意味だよ。」と言われ安心。 黒人のスラング分からん。(苦笑)


という事で彼と一緒にバンド活動をする事になる。


黒人街というのは確かに怖い所なのであるが、Brenのおかげかそれなりに馴染んでしまう。 確かに「ギリ

ギリのお金」で留学していたので汚い格好でギターを抱えていつもバンドやっている黄色人種がそこでは

それなりに知られていたみたい。 ギター抱えて歩いていると「ヘイ! 今日もBrenとやるのかい? 後で観に

行くぜ!」とか普通に声をかけられるようになる。  今でも友達。 よっぽど僕の影響があったのかその後も日

本人ギタリストを入れて現地のバンドで活躍中の様だ。


帰国


・さてアメリカ留学生活を終え、帰国後はトラッドなジャズメインで都内のジャズクラブでジャムセッション三

昧。 (高田馬場introやSomedayなど)あちこちで知り合ったメンバーでバンドを組み新宿アルタ前やら池

袋芸術劇場前などでまだ当時はあまりやっている人がいなかったストリートで演奏をする。 知らない間に

当時の新聞にも載ったらしい&テレビにも出ていたらしい。 

まだバブルの後期だったので結構儲かった。 


・音楽専門学校エイトプロミュージックスクールで「副科ギター」と「ギター個人レッスン」を教える。


・校内でそれなりに人気があったのか次の年から「音楽理論1」と「音楽理論2」「音楽理論3」「アンサンブ

ル」「ヒアリング」「スコア」「アレンジ」「スコアリーディング」「副科ギター」「ギター個人レッスン」などを教える

様になる。 そのまま10年ほど続ける。


・ジャズの演奏で知り合った仲間とメンバー13人編成!!のFunkバンド「Funk You!」を結成。 

都内のライブハウスなどで演奏。 その後影響を受けて結成されたバンドが出てくるほど好評を得る。

・サックスの堤千恵子、ベースの大西慎吾らと「Magnetic Hysteresis」を結成。(その後サックスを青山美貴子に変更し活動。)

・「仮面ライダー555」のレコーディングや数々のAvex系のアーティストの

レコーディングなどでギターを弾く。

・都内老舗のジャズクラブ「intro」の20周年記念レコーディングに参加。


・耳コピの技能を買われ市販の楽譜作成の仕事にも従事。

ゴンチチ「Guitars」(サニーサイドミュージック刊)等

・エイトプロミュージックスクールが経営の問題の為に倒産後、宮地楽器・AID Music Schoolと自宅にてギター講師を始める。

 

・馴染みのライブハウス東新宿「Acoustic Art」でギター講師を始める。



1000人を超える生徒達に教えて来ました。 

その後プロで演奏家・ギター講師になって活躍している元生徒も一杯います。 

これまでの経験を活かしてレッスンをします。 

是非興味を持たれましたら連絡してください。

お待ちしております!